認知症の義母を5年ほど自宅介護した。子どもたちが6歳、9歳、12歳の時だった。
ちょうど下の子が学校に上がるので、私は仕事をしようと気持ちが上がっていた時だった。
夫の実家を管轄していた民生委員から、お母さんが近所の人を泥棒呼ばわりしたり何度もパトカーを呼んで大変なことになっていると連絡が入った。
20年近く前は介護についての認識が薄かった。今の認知症と家族の会は、呆け老人と家族の会と呼ばれていた。介護施設も介護保険も今のように整っていなかった。
自宅に引き取り、認知症が悪化して行く母と向き合う日が続いた。体は丈夫だったので、いつまで続くのか先は見えなかった。
同じことを繰り返す母に同じ返事を繰り返す私。
このままでは私が壊れると思った。
トンネルの先が見えないのが介護 毛利由美